デザイン
その上、応用美術が純粋美術より下位だという考えは、日本のデザイナーの職業的地位の確立によって消え去った。 その後、亀倉は日本広告美術会を設立、新しい分野に中心と専門性をもたらしたその指導力によって、のちに日本デザイン・センターを設立する。 日本では1910年代の橋口五葉、和田三造、北野恒富、杉浦非水、片岡敏郎らの先駆的活動が見逃せない。 それ以外、「グラフィック’55展」の日本人メンバーである、伊藤憲治、大橋正、河野鷹思、早川良雄、原弘、山城隆一らがこの領域に与えた影響は大きい。 1950年代以前の日本では、あまりモダニズムのデザインは採りいれられていなかった。 亀倉の船頭の元、日本のグラフィックデザイナーたちの誰もが持っていた、視覚伝達は手描きでなければならないという観念を払いのけた。 64年に行われた東京オリンピックで亀倉の制作したロゴとポスターが喝采を浴びることとなる。 亀倉雄策は1931年に東京に創設された新建築工芸学院の学生であった。 37年から48年までの間、文化雑誌のアートディレクターとして活躍した亀倉は、戦後の復興期に日本意匠界で頭角を現した。 日本でグラフィック・意匠の本格的活動が開始されるのは第二次世界大戦後である。
デザイン制作
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